それいゆ通信

税金の歴史

それいゆ通信099号

関与先の皆さま

 春まだ浅く、風に冷たさが感じられる今日この頃、つつがなくお過ごしでしょうか。今年の冬は気温の寒暖差が激しいので、関与先の皆さまも体調管理にはくれぐれも気を付けましょう。それでは、事務所通信平成29年4月号とともにそれいゆ通信99号をお届けします。

 今回の事務所通信では、決算手続について取り上げられています。決算日までの手続きとして滞留債権、不良債権への対処、死蔵品、たなざらし品の処分、固定資産の確認があります。決算手続は、期末における財産(資産・負債)の一切を帳簿から離れて、その実在性や網羅性を確認し確定することにあります。「資産として実在しているか」だけでなく、将来のリスクに備える意味で資産としての評価の妥当性についても検討することが必要です。決算手続で重要な項目ですので是非ご一読ください。

 今回のそれいゆ通信では、確定申告の時期ということもあり、引き続き税金について取り上げます。今回は税金の歴史のお話です。税金の起源を歴史的な流れで見ると新鮮な発見もありますので紹介いたします。
日本では3世紀頃、魏志倭人伝に日本の税に関する最初の記述があるそうです。卑弥呼が支配する邪馬台国では、税が納められていたと記述されています。その後飛鳥時代に入り、有名な大宝律令による租庸調という税の仕組みが整備され、稲や絹、特産品その他労働(年10日間都で働く!)まで様々なものを納めていました。

 奈良、平安、鎌倉、室町時代には、基本的には年貢を納め、納税者は主に農民でした。鎌倉時代に入ると更に不役(労働で納める税)も課せられ、納税の負担が増してきます。室町時代には、商業活動の発達で商工業者に対しても税が課せられ、街道の関所では、関銭(通行税)などが税となりました。税の細分化と納税者の対象も農民、商人へと拡大されています。

 安土桃山時代には、豊臣秀吉が税金の徴収を厳格にしていきます。太閤検地により全国の田畑の広さを測り、年貢取り立ての基準「石高(こくだか)」を定めました。当時の税率はかなり高く、収穫の三分の二を年貢として納めていたそうです。豊臣政権は割と苛政だったという説もあります。

 江戸時代では、農民は田畑に課税される年貢の地租が中心で米などを納め、商工業者に対する税も、運上金・冥加金(同業者に商売の特権を認めるかわりに納める税)といった形で納められました。明治・大正・昭和時代から税金も現代的になります。明治時代には地租改正で地価の3%を地租として貨幣で納めるようになり、更に所得税や法人税もこの時代から始まります。1946年には日本国憲法の公布で納税の義務も定められます。納税者の対象が全国民へと変わります。

 歴史的に見ると、時代のプレーヤーとして影響力を持つと納税者となるようです。古くから農民が納税の対象者となってきたのは、国の食を支える仕事をしていたからです。経済が発展することで経済を動かす商人も対象者となり、一方で税の恩恵を受けてきた特権階級者も明治以降には特権が剥奪され、納税者へと立場が変わります。こうして納税者が全国民に課せられるようになります。納税者であるということは、その時代を担っていることであると考えると税金についても興味を持たれるのではないでしょうか。

(N.Y.)

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